「太宰治検定」とは
『太宰治検定』HPにお越しのみなさん、はじめまして。
突然ですが、みなさんは私たちの活動をどちらで知っていただいたのでしょうか?
テレビ? 新聞や雑誌? インターネット? 巷の噂? んんん。どこであっても嬉しいです。ありがとうございます。今日は、こうしてお目もじできたよろこびを込め、私たちの活動について少しお話をさせてください。
年に2回、6月は青森で、11月は三鷹で開催している、この『太宰治検定』。「検定」というと、資格試験のような堅いイメージあるかもしれませんが、『太宰治検定』は英検や漢検のように「もっておくと就職/転職にも便利!」というものではありません。ごめんなさいね。太宰好きの検定委員が問題を作り、太宰好きの受験者がそれに挑戦し、そのあとは答え合わせツアーと称した文学散歩をして仲間内で盛り上がる。つまり私たちが運営する『太宰治検定』は“太宰好きと仲良くなりたい読者”の集いみたいなものなのです。申し遅れました。わたくし『太宰治検定』の木村綾子( http://people.zozo.jp/ayakokimura/diary )と申します。
太宰治は、おそらく誰もが一度はその名前を、あるいは作品名を耳にしたことがあるほどの、日本を代表する作家です。人が生きていくというその喜悲劇を鋭くとらえ、知性とユーモアを交え描いた作品を多く残した作家です。「いま」を生きる私たちの見ている景色は、驚くほどに彼の描いた世界に通じています。それなのに、「太宰文学」と言ってしまえば世間的にはネガティブなイメージばかりが先行し、それが作家や作品に、さらには愛読者に対する偏見に通じてしまうなんてことも少なくありませんでした。
それはたとえば私の過去。
初めての恋人ができるより先に太宰治に熱を上げた過去を持つ私は、「太宰が好きで……」という切り口でこの世界の全ての事柄に感想が抱けるくらいに太宰が好きです。小説や関連書を読むだけでは足りなくて、文庫本を携えて作品に描かれている舞台をめぐってみたり、作品のモチーフになった当時の私生活や交友関係を調べてみたり、イニシャルで登場する作中人物を突き止めてみたり、心に響いた名文を抜粋してオリジナルベストヒット太宰を作ったり、眠れぬ夜には好きなシーンを朗読して悦に入ったり、自らの太宰知識を確かめるべく、独りで問題作って解答して一喜一憂したり……。でも、その気持ちに共感してくれるような友達は、どういうわけか、あまり周りにいませんでした。「だって暗いでしょ?重いでしょ?難しいでしょ太宰って」そんな一言で片づけられてしまい、作品を手にしてもらうどころか話を聞いてもらう機会にさえ、巡り合えない日々を過ごしていました。だけどそれは違う。やっぱり間違ってるし、悔しい。当時私は、太宰治に学びはじめて10年あまりが経っていましたが、太宰に学ぶことが日常になるほどに、また、太宰好きを公言するほどに、そのような葛藤を同時に抱き続けてきました。そんな頃。
2009年五月某日。
太宰が導いてくれたご縁によって、青森県五所川原市にお住まいの津島克正さんとの出会いに恵まれたのでした。“五所川原の津島さん”と聞いてピンと来たあなた、かなりの太宰ツウですね! そう、彼こそが、太宰治が育ての親と慕い、小説にも多く登場する叔母キヱの曾孫さんです。
当時津島さんは、太宰の生きたまち・津軽に暮らす人間として大きな課題を背負っておいででした。そしてそれは、いち太宰ファンとしては実におどろくべき、そして同時にさみしく余りにも勿体なく、何かできることがあれば!と思わずにはおられない現実だったのです。現在の青森県、とりわけ地方都市は、地元住民の活気はおろか、観光客を受け入れるための交通ルートや集客施設も十分に確保できず、町おこしイベントさえ首尾よく行えないという深刻な過疎化問題を抱えています。それは津島さんの住む町でも同じことでした。彼のご自宅敷地内には、疎開中の太宰も寝泊まりしたという土蔵が当時の面影を残したまま保存されていました。実際に津島さんのお父様は、太宰と一緒にここで酒を酌み交わしたこともあったそうですし、蔵の中には当時使用していたお膳や未公開の太宰直筆はがきなどのお宝も……。小説に描かれた舞台が現存していたんです!私は学生のころから太宰作品の舞台となった土地を巡るのが好きで、青森にも訪問したことがあったのですが、まだまだ勉強が足りませんね、津島さんと出会うまで、そのような土蔵が現存していた事実を知りませんでした。電車を乗り継いで五所川原駅に着いたときには心はもう斜陽館まっしぐら。金木に続く津軽鉄道に飛び乗っていましたから。だから蔵の存在を聞いたときには、ずいぶん心が躍ったものです。それなのに。この蔵が土地区画整理事業によって解体されることになってしまったというのです。そんな勿体ないことがあっていいのでしょうか!
津島さんをはじめ地元のみなさんは、蔵を現況保存するようあらゆる方法を模索したそうですが、八方塞がりの状態のまま、事業の進行に苦渋の表情を浮かべるしかなく……。そこで彼らが考えたのが、区画整理後に土蔵を再建して「太宰治と叔母キエ『思ひ出』記念館(仮)」なる観光名所にしようという計画でした。過疎化が進み活気を失いつつある地元民に、自分たちの住む町は太宰治という素晴らしい作家に愛された町なんだという意識を持ってもらうために。そして太宰を愛して遠方からやってきてくれる観光客に対しては、国重文の旧津島家住宅(斜陽館)など近隣にある太宰ゆかりの他施設を紹介するターミナル的役割を果たすために。その熱い思いに感銘を受けた私は、こうしちゃいられない! 太宰の生きた町ほっとけない!! 私も『太宰治検定』して蔵の再建に協力します!!! と、名乗りをあげ、こうして企画・運営に携わるようになったのです。
これまで一人でこじらせてきた太宰治への想いがやっと役に立つ時が来た。それも他でもない太宰治のために。太宰と読者を繋ぐために。太宰を慕う読者同士が笑顔で想いを語り合える場所を作るために。私にとって、それはこの上ないよろこびだったのでした。
蔵の再建はとても大きな目標なので、道のりはずいぶん長くなりそうです。でも、太宰が愛したまちを盛り上げ、そこに新しい太宰名所が誕生することを夢見、尽力していきたいと思っています。
つまり、『太宰治検定』は、“太宰好き読者と仲良くなりたい読者”の集まりでもあり、“太宰ほっとけない読者”の集まりでもあるというわけですね。
立ち上げから3年。いまでは20人もの仲間ができました。
年に二度の検定のほか、書籍の出版、グッズの制作、いろいろイベントも企画していますが、それもかなりゆるいです。みなさんから「こんなのやって!作って!」とリクエストいただければ「よろこんでー!」と張り切ります。興味があれば検定やイベントに参加するもよし、もっと興味があれば検定委員になっていただいても!
この良きめぐり逢いを機に、今後とも、私たち『太宰治検定』をよろしくお願いします。
ご高覧いただきありがとうございました。
2011年11月2日
『太宰治検定』実行委員・木村綾子拝
来訪者さま
御身許に
太宰治検定 3つの階級
「津軽」編 初級 | 「津軽」編 上級 | 「お伽草紙」編 |
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小説「津軽」を題材にした内容です。
「津軽」の内容ばかりではなく、太宰治の生誕地である金木、五所川原、津軽の関連施設やエピソードを盛り込み、
どなたにも楽しんでいただける内容です。 問題は択一式。 |
津軽地方を題材にした作品や、津軽地方において太宰治と関連のあるすべての事項から出題されます。 問題は択一式、一部記述式。 |
小説「お伽草紙」を題材にした内容です。
問題は択一式、一部記述式。 |
太宰治検定は、上記のように小説 津軽 を題材にした「津軽編 初級」と
小説と、太宰の故郷に関する問題も出題される「津軽編 上級」と「お伽草紙編」の3種類があります。
いずれも、バラエティーに富んだ内容で、多くの太宰ファンに楽しんでいただけると思います。
詳しい検定内容については太宰治検定 実施要項をご覧ください。
プチ検定もご用意いたしました
2011年よりホームページでも検定を楽しんで頂けるようになりました。